郊外住宅地の発展

第一次世界大戦を通じて日本経済は画期的な成長をとげ、独占資本形成の段階に到達しました。戦争景気によって本格的な重化学工業が興り、新興工業都市があらわれてきました。また、在来の都市も工業化により活気づいてきましたが、産業発展の矛盾も様々な形をとってあらわれてきました。東京や大阪では市街地周辺のスプロールによる地区の悪化が目立ちはじめ、周辺関連市町村を含む都市化地域の先行的整備が問題とされるようになって、大正8年に都市計画法、市街地建築物法の公有をみました。都市の発展を規制するための地域判を設定し、これに併わせて建物の配置、構造等についての最低条件を示しました。しかし、これら法律は、都市の居住環境の保全、改善をはかることよりも、産業、軍事上の保安と能率を確保することに重点が置かれたものでした。工場鉱山および運輸、通信労働者は当時の労働者階級の主体を形成しますが、その総数は、大正3年の190万人から8年の295万人と大戦期間中だけで約50%の激増を示しています。これらの労働力の主な供給源は、農村の過剰人口でした。これら人口の都市への流入とそれにもとづく都市人口の膨脹がこの期間中に急激にあらわれ、大正7年から8年頃にはかつて例をみない量的住宅難の蓄積となって表面化しました。深刻な住宅不足が家賃の高騰をひき起こすにいたり、住宅問題ははじめて社会的な問題として注目をあびるようになりました。

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好況を続けた日本経済は、戦争が終わるとともに一転し、大正9年に戦後最初の恐慌におそわれ、10年以上と続きました。労倒者の生活は窮迫しましたが、その結果、住宅の絶対量の不足の問題は質的な住宅難、貧困層における居住状態の悪化の問題に急速に転化していきました。加えて,大正12年に関東大震災が発生し、約47万戸の住宅が滅失しました。披災者は同年9月末までで66万人に達し、爆発的な住宅難となってあらわれました。応急仮設住宅が被災地のあちこちに建てられましたが、居住者に住宅の建替え、住み替えの能力がないため、これらのバラック密集地区は荒廃の極に達し、不良住宅地区として明瞭な姿をみせるようになりました。
同潤会の設立による公的住宅供給体制の整備、不良住宅地区改良法の公布によるスラムクリアランスの着手などの対策が講じられましたが、いずれもモデル事業の域を出ないもので、住宅、居住地の悪化に対する根本的対策にはなり得ませんでした。
大正末期から昭和初期にかけて、新たな居住地の型として一戸建庭つき住宅を主とした郊外住宅地が私鉄治線に形成されてきます。そして、この傾向は、特に関西において顕著にあらわれました。郊外住宅地が形成されるようになった要因としては、第1に、サラリーマンの増大があげられます。明治期の都市内部における就労形態は、家族労働を主とした自家営業、店員の住込みによる家族的営業など、職場と住居が一体となった形態がまだ多くありました。第一次大戦を経て、金融資本が確立され、大都市中心部に金融機関が集中し、オフィス街が形成されるにともない、通勤事務労働者層が増加してきました。これらの層は、居住地選択にあたって働く場所としての環境条件を特に強く考慮しなくてもよい層であり、自然的条件のよい都市郊外への居住を求めるようになりました。
第2は産業の発展にもとづく都市内部の居住環境の悪化です。明治における工場制工業への転換は、石炭をエネルギー源とすることにより、煙害を急速に拡げていきました。大阪では、明治10年代に早くも煙害問題が社会的に注目されていました。また、臨港周辺の市街地一帯が、地盤沈下のため、明治未期に高潮被害を受けて以来、台風による浸水を重ねるなど、居住環境の悪化が深まっていきました。そのような状況下で、自営業主層は、商売の拡張を契機に職、住を分離し、郊外居住を求めるものが多くなりました。
このような郊外住宅需要の顕在化を背景に、私鉄資本は郊外沿線の住宅地開発をすすめ、都市の中、上の居住者層を対象に沿線に誘致し、それら住宅地を核に周辺の住宅地化を促進し運賃収入の増大をはかるという経営政策を積極的にすすめました。関西における私鉄線は、当初、大都市間連結線、郊外観光線といった性格が強く、輸送需要は少なくて経営不振でしたが、郊外居住の需要増大を機敏にとらえ、その沿線培養策を強行するとともに、通勤線的性格に大きく転化していきました。
サラリーマン層の郊外溢流については、当時の文化人の生活改善に関する啓蒙運動が大きな役割を果たしている。大正末期の深刻な住宅不足と不良住宅地区の問題が社会的注目を集め、住宅問題の解決が活発に論じられたのです。しかし、これらの議論は住宅不足に対する持家建設という点、住居の質的悪化に対する生活改善、文化生活という点で共通しており、具体的には郊外居住の啓蒙となってあらわれました。おりからハワードの田園都市論がわが国に紹介されましたが、その思想については都市の居住環境の悪化を批判している点のみが注目されて文化人の生活改善連動と短絡してしまい、田園越味の高揚という形に矮小化されていきました。
電鉄の開発した住宅地は、住宅の自然的立地条件が概して良好で、比較的規模の大きい庭つき一戸建住宅によって街区が形成されており、一つの典型的な住宅地の型を創り出しましたが、供給されたのは広壮な住宅であって、日常生活施設なども不備であり、ここに居住できる層は階層的に高い都市居住者に限定されていました。下層サラリーマンは、都市周辺に拡がっていた2階建長家住宅街に居住地を求めていきました。

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