零細長屋住宅街の発達

第一次大戦後、不況が慢性化していましたが、昭和4年には世界恐慌の余波を受けて日本は空前の不況にみまわれ、失業者が続出しました。都市居住者は生活難のため住宅を維持することが困難となり、中住宅居住者は小住宅に、小住宅居住者は同居に、というように住居水準が切り下げられていきました。これは、中住宅の空家が増加した一方、零細小住宅が不足し、同居が増加した事実に明瞭に示されています。借家人は住宅難に追いつめられ、借家争議が頻発しました。その後は恐慌からの突破口を海外侵略に求め、太平洋戦争へと突入していきました。世界恐慌ののち減少しつづけていた労働者数は、再び増加しはじめました。ことに重化学工業地域に工場労働者が集中し、都市ではまた住宅不足が顕著になっていきました。そして、戦局がすすむにつれ、インフレが進行し、貸家住宅の建設が手控えられるようになりました。政府は家賃の高騰が物価高騰、賃金上昇に波及するのを恐れて、昭和13年、地代家賃統制令を実施し、さらに軍需生産優先によって住宅建築資材の統制が行なわれたため、住宅供給は全く停滞するに至りました。インフレの進行による地代や建築資材の高騰のもとでは、借家経営はきわめて不安定なものとなったので、宅地の零細分割化、住宅の低質化という形で投下資本の短期回収をはかり、法外な家賃で住宅の超過使用を行なおうとする傾向が必然的にあらわれてきました。

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間取り

新築住宅においては、住宅の開口の切詰めや2階建によって土地利用の効率化が行なわれたり、土間や板の間を削って畳数を増やし、みかけの居住面積を増加させることなどが一般的となりました。階上と階下で住戸の異なる重ね建て形式の重層長屋がきわめて多くみられるようになり、今日隆盛をみている木造アパートなども工場労協者層を対象に当時すでにかなり建てられていました。下層サラリーマンや労働者の貸家住宅街が、都市の中・上層の分譲住宅地が 郊外沿線にでき上がっていったのとは対照的に、大阪市などでは西部や東部の工業地にはさまれた低湿地に形成されていきました。裏長屋なども多く、これら居住地では、路地が住居の狭さを補完して、日常生活の種々の営みがそこを中心に展開され、居住者は全体的に緊密な近隣関係を創りあげていきました。
太平洋戦争末期の都市の住居状態は、軍需労働者のたこ部屋的生活、空襲下の壊舎生活などに端的に示されるように、著しく低下しました。そして、太平洋戦争の終結は未曾有の住宅不足をもたらしました。空襲による全国主要都市における住宅の壊滅的焼失、疎開による住宅の取り壊し、戦時中都市に集中した労働者の住宅不足の蓄積、海外引揚者の住宅難の集中などが主要な圧力となり、全国都市住宅の1/2に当たる420万戸が不足するという恐慌状態が発生しました。加えて、失業や食糧難が吹き荒れ、都市居住者の生活状態は生存ギリギリのところまで落ち込みました。住宅は総体的な不良化となってあらわれ、バラック、同居や間借、非住宅転用などがあたりまえの状態となりました。住宅政策では当面の社会的不安をどう回避するかということだけが問題とされ、種々の制限令が出されるだけで、住宅復興、居住地整備はほとんど放置されたままでした。
昭和25年に効発した朝鮮戦争は、日本の産業界に莫大な特需景気をもたらし、その結果、日本経済は急速に戦前の地盤を回復して、新たな再編成への動きを見せていきます。このような経済の動向に対応し、昭和25年から30年にかけては、自力で住宅を取得あるいは改修して低劣な住居状態から抜け出していく層と、以前にもまして居住状態が低劣化し沈澱していく層が分極化しはじめました。つまり住宅難の様相は、いままでの量的住宅難に質的住宅難が先鋭化した形で加わっていきました。今日の都市の居住地分化の原型はほぼこの時期に固まってきますが、居住地変容のプロセスはおよそ五つの型に大別できるようです。
第1は不良住宅地区の多角的顕在化が指摘されます。戦後の不良住宅地区の現象形態は、戦前のごとく貧民窟に概括される地区とは異なり、一段と多様なあらわれ方を示しました。被災地の応急仮設住宅、河川敷、道路敷、低湿未利用地、公園用地などの不法占拠によるバラック、兵舎や焼ビル等の非住宅施設などにおける居住が長期化することによって顕在化してきた不良住宅地区がきわめて多くありました。戦災で消失したはずのスラムや部落も、再び同じ場所に姿を見せはじめました。農村過剰人口や都市転落層の流入により、これら地区の密集化、膨脹化が次第に顕著になっていきました。
第2の型として、非戦災長屋街があります。地代家賃統制令や税金のため借家の維持管理が困難となり、戦災で焼け残った貸家の多くは店住者に売り渡されました。居住者にとっては、激しいインフレの進行のため家屋の補修は思うようにできませんでしたが、これらの住宅は当時の住宅ストックの主要な部分を占めていて、同居、貸間が盛んに行なわれ、住宅の食いつぶしによって老朽荒廃化が深まっていきました。
第3には、零細建売住宅地区が、戦後の新住宅建設にともなう新たな居住地として形成されてきます。戦災跡地を埋める小規模の供給からはじまりましたが、地価の上昇が徐々に活発になるにつれて、狭くともとにかく住宅を所有することによって生活の安定をはかろうとする層があらわれてきます。それらの層は職場に強く制約されており、また通勤、日常生活費の節約のため市内居住を強く望んでいました。これらの層を対象に、既存市街地に隣接して地価が相対的に安く交通条件のよいところに零細建売住宅の集団的建設が行なわれました。概して低湿地に建てられ、低質な材料や粗悪な構造のもので、とにかく安いことが魅力の住宅が多くなっていました。
昭和25年、住宅金融公庫法が制定され、住宅供給政策はまず持家政策として住宅金融制度がおし出されてきます。この制度は、頭金の用意ができる都市上層に積極的に受け入れられ、以後、郊外における小規摸一戸建住宅の建設が進展します。公庫融資付きの建売分譲住宅が電鉄会社等により集団的に建設供給されるようになり、郊外治線一帯に新規宅地開発が拡がっていきました。
第4の型として、公庫融資の小住宅を中心とする郊外住宅地の形成があげられます。
第5の型は、公共住宅団地の出現です。昭和26年、公営住宅法が公布されて、低所得層の住宅難世帯を対象とした住宅供給がはじめられました。当初から用地費に制約されて地価の安い地域への立地が求められ、都市スプロールの先べんをつけました。はじめは木造低層住宅が多かったのですが、次第に中層アパートに重点が移り、開発用地の規模も大きくなっていきました。そして、昭和30年、日本住宅公団が発足してからは、住宅公団を主にした1団地経営方式による本格的な郊外団地が形成されるにいたりました。

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