洋風住宅の導入と日本化

住宅建築において計画の近代的技術が意識的にとり入れられたのは、明治初期における洋風建築技術の導入と、それによる邸宅建築においてです。もちろんそれ以前の住宅にも、例えば書院造の伝統にもとづく武家住宅において建築技術がなかったわけではありません。むしろ、高度に完成された木割術があり、間取りから高さの関係、さらに細部の寸法に至るまで、その割出し方の技術が体系化されていました。しかしこの技術は極めて伝統的、保守的な技術であり、新しい変化に対応しうるものをもっていませんでした。洋風技術の導入は、大邸宅において、純粋の和風住宅の傍に純粋の洋館を建てるということから始まりました。ここで初めて洋風の技術を身につけた建築家が住宅計画に登場したのです。しかしこの洋館は迎賓用であり、日常生活は旧来の和風注宅で行なわれる例が多くありました。その後漸次和洋の折衷が試みられましたが、それは住様式における和洋の融合というよりは、独立であった洋館が和風住宅と接合して洋間となったに過ぎませんでした。この形式は大正期には中産階級の台頭とともに彼らの中流注宅にも伝播し、玄関わきの赤瓦、開き窓の洋風応接間は、新たに発生しつつあった電鉄開発による郊外住宅の一つの典型的形式となったのです。

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単なる洋風模倣でなく本当の意味で日本に過した住宅はどうあるべきかの探究は、大正半ば頃から始められたとみられますが、なかでも藤井厚二の実験的、試作的な研究は、新しい意味での計画の名に値します。彼は自宅を五度建て直しましたが、日本の気候と風土の特殊性に立脚してそのつど新しい試みを行ない、何年間か住んでこれをみずから体験し評価しました。特に温湿度の調整に主限を置いて、壁、窓、天井等の構法や換気孔の工夫などを行ないましたが、間取りにおいても、広い家と狭い家、2階建と平家、日本風と和洋折衷等を試みました。和洋折衷といっても、単に和風住宅と洋館との接合でなく、同一室内の一方に板の間の椅子式生活の空間、他方に一段高く畳敷きの空間を設けてその融合を試みたのでした。このような努力の積重ねが、次第に日本の注宅の新しい面を開いて行ったのであって、そういう先進的な探究は、まさに計画の最も大切な態度といえます。
明治未期からの産業の興隆とそれに伴う人口の都市集中は、都市における零細な借家を増大させ、不良住宅地区を発生させ、さらには伝染病や災害をも伴って、大正初期の社会に大きな社会問題として登場しました。その一方でこれらの経験をすでに何十年か早く経過したヨーロッパでの、その対策としての諸立法や、さらにE・ハワードを中心とする田園都市の運動とそれにもとづくレッチワースやウェルウィンの2都市の計画実現などの実例も、ようやく伝わるところとなりました。このような内外の情勢は、日本においても建築規制の必要を痛感させるものとなり、また建築家や建築学者にとっても都市の問題や庶民住宅の問題は関心を向けざるを得ない新しいテーマとなりました。当時の建築雑誌に発表された諸論文も、この都市と住宅への関心を明らかに表しています。法律、住宅問題、住宅計画等についての外国例の紹介、日本の貧民街の実情報告、建築資材の規格統一についての見解などが論じられ、佐野利器により規格住宅案が発表されていることは注目に値します。建築学会では何回かの講演会が開かれ、また数年にわたり住宅、都市問題が雑誌上ヘ連載されました。このような情勢は、大正7年の都市計画調査会の設立、8年の都市計画及び市街地建築物法の制定へとつながり、また後の不良住宅地区改良事業や同潤会による庶民住宅建設事業への足がかりとなりました。こうして住宅の計画も、個々の邸宅の設計から、より広い層にわたる住宅の問題へと発展して行く気運が作られたのです。

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