日本の住まい

今現在においても多くの住み手に影響を与えているのは、生活様式や住まいの形式、居住場所など、すべてが階層別に支配者によって定められていた封建時代です。それをかいつまんで、封建時代以降の日本の住まいと住み方の発展の歴史の中にみるならば、それはおよそ次のようなことになります。従来公的生活の場としての表の間と、私的な生活を営む裏の空間に分かれていた支配階級の住まいは、まさにその身分的秩序を空間的に表現するために表の空間をますます肥大化させ、書院造の上段、下段の間に象徴される格式的空間構成をつくりだし、住み方はその身分的効果を一層誇示するための封建礼法として規範化されていきました。そこでの住まいは.いわば支配者階級の必然的要求に合致したものであり、また住み方もそれに対応していたといえます。つまり支配階級における住まいと住み方は、彼らの暮らしの要求や意志にもとづいて確立されていたのです。

スポンサード リンク
間取り

被支配者階級である町人や農民においては、住まいは彼らの生活の要求にもとづいて、暮らしの容器として形作られたのではありませんでした。封建身分制度が住まいも住み方も規定し、住み手はそれらの厳しい枠内で暮らしの要求を実現しようと努力したのです。いわば暮らしの変化に対応して住まいをつくり住み方を変えていくという弁証法的関係よりも、封建仕会の身分的制約の方が強かったといえます。しかし、そのような厳しくて、つつましい生活のなかにも、盆正月をはじめとする多彩な表の年中行事には、住まいを整え、気分を新しくして生活に区切りと潤いをつくりだすという、一つの確立された生活の型が存在していました。
明治維新は、一応このような封建的制約を取り除きましたが、実質的な民主化をともなわない改良は、労働者や農民の間に依然として封建的基盤を温存しました。加えて300年有余の長期間にわたって固定化、規範化されてきた住み方は、根強い慣習、因習となって残存し、これが逆に住まいの変化をおしとどめました。封建的な住まいの形式が在続しました。
資本主義の発展と植民地支配の結果、支配者階級は先進資本主義国を模倣して、表の空間を洋風に飾りたてた洋風住宅を作り出しました。また支配者階級の下に出現したいわゆる中流階級では、大正デモクラシーの影響もあって、その文化生活を実現するための中廊下式住宅があらわれました。これは求める生活が、もはや旧い住み方や礼法では維持できなくなったためであり、その結果として各部屋を通りぬけできない住まいが求められたからといえます。
戦後は住まいと住み方をとりまく状況は大きく変化しました。個々の住み手の要求を抑えていた家族制度が解体され、男女同権、親子平等が実現し、封建的な考え方が一帰され、急激な民主化が家庭を襲いました。加えて戦災による住まいの破壊、焼失は極度の住宅難、住宅不足を引き起こし、大々的な住まいの更新が行なわれねばならない事態をむかえました。住み方の調査研究にもとづく住まいが提案され、近代的な集合住宅にみられるごとく、それらが僅かながらも公共的に実現しました。新しい住み方が要求され、そこでの生活の発展がさらに新しい住まいを要求しはじめました。
住まいと住み方の弁証法的発展は、住み手の要求が継続的に住まいの計画、建設と続合されることにより、一層そのテンポをはやめる条件を獲得しました。しかしその後、勤労人民の生活向上を無視した資本の高度経済成長により住まいの改善は一定の枠内におしとどめられ、反対に急激な産業や人口集中にもとづく都市化によって、住まいはそれ自体のみならず、それをとりまく環境とともに著しく劣悪化しつつあります。封建的、身分的制約は一応消滅しましたが、現在はそれに変わる経済的制約が一層社会構造格差を拡大し、しかも、それを克服していく方法が示されていません。加えて商業資本、広告資本などの第3次産業の肥大化は、住み手の意志を無視して住み方を機械的に変えさせていきます。このようななかで、住み手がみずからの要求にもとづいた住まいと住み方をとり戻すこと、このことが現在の最大の課題となりつつあります。

間取り
住み方の課題/ 暮らしと住まい/ 住まいと住み方/ 日本の住まい/ 狭小過密住宅/ 居住環境の悪化/ 家風の喪失/ 住み方の解説書/ 応接セット/ 動線理論/ 家具の機能/ 家具の配置/ 物の分類/ 住まいの物の共有化/ 住まいの物の保有量/ 整理収納/ 住まいの管理、サービス制度/ 住まいの理想/ 一戸建住宅の理想/ 一戸建住宅の願望/ 住宅の理想像/ 住宅の将来/

       copyrght(c).間取りガイドドットコム.all rights reserved

スポンサード リンク

プライバシーポリシー