田園都市

産業革命の進行とともに都市は無秩序な急膨張をとげ、人口の過密、公園など空地の不足、不衛生な住居、交通混雑など種々の弊害が生じてきました。そこで都市の無秩序な発達を抑制し、都市機能を向上させるため計画的な都市造りが主張されるようになりました。こうした近代的都市建設の動きの一つとして、イギリスおける田園都市の建設があります。この田園都市建設を提唱したのは、エベネザー・ハワードです。彼は1都市の欠点と農村の欠点を除き都市の長所と農村の長所を結びつけた新しい独立都市、田園都市の建設を提唱しました。その概要は、大都市の近郊に建設する、健康な生活と独立した都市生活が営めるよう産業、文化、社会諸施設を完備する、人口は3万人から5万人を限度とする、都市周囲を農業地帯とする、交通機関、電気、ガス、上下水道等を公営とし、都市を一つの公企業として考える、土地は公有とする、などです。このような構想の実現を図るべく1899年に田園都市協会が設立され、1903年にはロンドン郊外56kmのレッチワース、1920年には同じく北方32kmのウェルウィソにおいて田園都市の建設が始められました。これらは、田園都市運動の源泉として欧米諸国および日本にも少なからね影響を与えています。このように20世紀初頭に始まった新しい都市造りは、その後、社会、経済条件の変化とともにニュータウン建設、衛星都市建設等へ発展していますが、その根本思想は、今日といえども新しく生きているといえます。

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間取り

明治維新を契機に近代国家への脱皮を始めた日本は、欧米先進資本主義諸国のようにテいわゆるブルジョアジーの先導によってではなく、国家権力の手によって都市造りが進められたとみることができます。しかし、西欧文明の輸入にいとまのなかった日本も、都市計画の推進は閑却され、明治21年に東京市区改正条例がはじめて法的裏付けとして公布されました。
一方で日清、日露の両戦争さらには第1次世界大戦を契機に日本経済は払大を続け、都市の発展も著しいものがありました。それとともに、人口集中、工場地化、地価騰貴、住宅不足等都市問題がクローズアップされるようになりました。東京市区改正条例に続いて、大正8年都市計画法が成立し、その後昭和8年以降全国の都市を対象に施行されることになりましたが、当時と比較にならなり都市規模をもつようになった現在も、同じ法律が生きているということは、都市計画行政面でいかに日本が立遅れているかを如実に示しています。
ここで住宅地供給の面からみれば新しい住宅地の開発は、私鉄の建設発展と切り離して考えることはできません。これは乗客の確保という私鉄経営上の要請でもありました。明治末期から大正にかけて新しい都市の住民としてサラリーマン層が登場し、彼らの住宅確保が問題となりましたが、その居住地を郊外に開発してそこからの通勤客として彼らに着目したのは私鉄でした。
一方、ハワードの田園都市思想に啓発され日本への導入を企図したのは渋沢栄一翁です。翁の発意によって大正7年、田園都市株式会社が資本金50万円で設立されました。

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